出典 仮名草子『一休ばなし』 巻之二ノ一 1668年 編著者未詳
出典ポイント 一休ばなし
『一休咄』は、一休宗純が世を去ってから約200年後の江戸、元禄年間に一般に広まった作品であり、その正確な作者は不明です。物語は一休が幼少期に周建という名前を使っていた時代に設定されています。この作品は、民間の願いや信仰を一休という歴史上の人物に投影した形で描かれており、一休自身の実際の行動や言動に基づいているわけではない可能性が高いです。実際の一休さんがどのような人物であったのか、どの話が真実でどの話が後の創作かは明確ではありません。このような文献は、その時代の人々が一休さんに何を求めていたのか、また一休さんがどのような象徴であったのかを理解する一つの手がかりと言えるでしょう。
概要
白河に住むある僧侶が一休の名前を聞き、「いつか一休に会って彼の才能を試してみよう」と考えていました。彼は一休と知り合いになり、「即興の歌を一つお聞かせください」と頼みました。 一休は「先にあなたが発句を読んでください。」 僧侶はあらかじめ句を用意しており、難度の高い「紫野丹波に近し」という発句を詠みました。一休は、それに対して即興で、同様に難度の高い「白河黒谷の隣」と脇句を作り、僧侶を驚愕させました。
ポイント
「紫野丹波に近し」紫と丹=赤、紫野と丹波、発句の中に二つの色名と地名が含まれている。
「白河黒谷の隣」白と黒、白川と黒谷、同様に脇句にも二つの色名と地名が含まれている。→両方とも一句の内に二つの色名,二つの地名をよみ込んだ、難しい句であることを理解しているか
引用文
一休仰せらるるは、「客発句に亭主脇とこそ申せ。先生方あそばせ」とありしかば、内々たくみをきしことなれば、「さらば申て見ん」とて、難句をこそは出されけるが、「此所は何と申す」。「むらさき野」と仰られければ、
紫野丹波近
とせられければ、いまだ息もひき入ぬに、はやつけられけるが、「そなたはいづくの人ぞ」。「白河の者也」と申されければ、
白河黒谷隣
とあそばしければ、彼僧肝をつぶし、「さしもむつかしき章句なり。一句の内に二つの色字、二つの所の名、いかなるへうたんの川ながれなる軽口も、少はしぶりこぶりし給ふべしと思ひしに、貝とるあまならで、息もつぎあへず付給ふ。」
現代語訳
一休が,「客発句に亭主脇と申します。まずはあなたからおよみなさいませ」とおっしゃったので,こっそりたくらんでおいたことなので,「それならば申してみましょう」と,僧侶は難句をお出しになり,「この場所は何と申す」とおっしゃった。そこで一休が「紫野」とおっしゃると,僧侶は,
「紫野丹波に近し」
と発句をおよみになったところ,一休は僧侶がまだ言い終わらないうちに,早くも脇句をおつけになり,「あなたはどこの人か」と問いかけた。僧侶が「白河の者です」と申し上げなさると,一休は,
「白河黒谷の隣」
と脇句をおよみになったので,僧侶は非常に驚いて,「ものすごく難しい第一句だ。一句の内に二つの色名,二つの地名をよみ込んでおり,どんなに瓢箪が川を流れるような軽口の上手であっても,少しは渋りなさるに違いないと思ったのに,貝をとる海女でもないのに,息もつかずに句をおつけなさる。」